<<実践報告・論文集>>

精神薄弱者更生施設における心理的援助プログラムの試み
−青年、成人期の問題とその援助−
(その3)



(2) 事例報告

(事例2)Bさん 35歳 女性

@プロフィール
障害/診断名:軽度精神遅滞 アルコール依存症
入所期間: 2年
家族: 兄
心理検査:田中ビネー検査(87年全訂版) MA 9歳2ヶ月 IQ52
生活史:父は本事例小学校3年生時に、母は本事例25歳の時にそれぞれ他界している。兄も精神遅滞があり、音信は不通。そのため、幼児期、学齢期の詳細は不明である。判定書によれば、小学校は普通級で過ごすが、中学校は特殊学級。中学校卒業後、地元N県下のそば屋に住み込みで働く。その後、部品組立、縫製工場、スーパーマーケットなどの職業を転々とする。母が他界した昭和60年以降はキャバレー、テレクラと水商売で働くようになり、この間同棲生活も経験している。平成元年以降は大阪、東京の婦人保護施設の入退所を繰り返す。平成6年に横浜に来るが、それまでの間は大阪、東京、静岡、名古屋、滋賀、新潟と各地を転々としている。当施設への入所までの経緯は、横浜のストリップ劇場を逃げ出したところを、保護され、婦人保護施設S寮入寮する。しかし、更生相談所の判定において、知的障害者援護施設が適当との判断を得て、現在に至った。
 S寮入寮中、飲酒問題が顕在化し、アルコール専門病院に2度入院している。

A 個人面接の過程
 Bさんに対しては、個人面接を中心に心理的援助プログラムを行っている。この個人面接の目標は、Bさんのこれまでに繰り返されてきた症状、状態、それに伴う対人関係の問題を理解することである。手法としては、支持−表出療法(ルボルスキー、1993)を基本とした。ここでは、上記の目標を達成するために、特に表出技法を用いることを試みた。表出と形容されることについて、ルボルスキーは「患者が自分の考えや感情を表出する場を治療者が設定するからである」と述べ、この技法を成功させるためには、支持的関係が重要であることを強調している。
 本事例に対する、個人面接は毎週1回、30分である。

*1997年3月〜4月 
第1回目は心理検査実施。
2回目より、個別面接開始。面接者からこの面接は話したいことを自由に話して良い場と話す。彼女からまず出された話題は同棲していた相手がギャンブル好きだったこと。郷里から飛び出たのは親戚に「ばかだ」「知恵遅れだ」と言われたから。名古屋のバーに勤めていたこと。横浜で保護されるまでヌード劇場で照明係をやっていたこと。いずれもその場を隙を見て逃げてきたことなど、淡々と語る。感情というものが言葉でも表情でも余り表現されない印象。まるで出来事を記述するように話す。最近気になること、と話題を向けると、 マック(注3)にいるバッカス(犬の名)が言うことを聞いてくれず困る、という。
 作業実習から2週間たった頃、仕事には慣れたが少し疲れたという。まだ自分の仕事として今の仕事がよいのか、別の仕事が良いのか自分では決められない。いつも誰かが決めていたという。では、夜の仕事に就くときは誰に相談したのと聴くと、自分で決めたという。そこから夜の仕事に就いて売春を始めるまでのいきさつを話している。
 一方将来への希望も話された。お金を貯めて一人暮らしをして、田舎にお墓参りに行きたいという。また、毎回咳をしたり、眠れない、頭痛がするなどの心身面での訴えもあった。

*5月
 面接を予定していた日の朝に無断外泊。帰棟後の予定を変更しての面接では、中古のCDを安く買ったと屈託のない表情で部屋に来る。マックでのこと、日中の作業活動の場が決定したことをうれしそうに話す。無外の話が出る。語られるのはいらいらして出てしまったという理由と、川崎に行っていたのは昔川崎で3日間知らない男の人といたことがあるからだったという。その男性に殴られたこと、洋服を買ってくれたのに出ていくときは全部おいていけといわれたと話す。次の面接で、ディ作業の歓迎会でボウリングに行ったときに自分の目の前でお酒を飲んだ人がいた。そのとき飲みたい気持ちがあったという。この時面接者の方に、これまでの面接を通じてアルコール問題の背景に見え隠れする、彼女の対人関係の問題が、彼女の言葉として聴かれないことが気になった。そこで、Bさんの対人関係に焦点づけすることをねらい、アルコールの問題は少し横に置いて、アルコール以外のことで気になったり、話したいことはないかと尋ねる。すると、「人にもっと相談できるようになりたい」と言う。ということは相談したいことがあるけどできないと言うことと問い直すと「そう」だという。どんなことを相談したいのかというと、「お兄ちゃんに会いたいけどあえない。今どうしているか全然わからない」。そして「殴られたり、警察に捕まって女性刑務所に入れられる怖い夢を見る」とも話し出した。面接者は、怖い気持ちや怖い夢は自分が気付き始めると楽になることがあること。そしてそのためにこうして話をすることが大切なことを伝えた。

*6月 
 福祉事務所のCW、婦人相談所の相談員に手紙を出したところ、返事が来たと言い、その手紙を持ってくる。この頃友達ができてうれしいという。「友達ができたから、こういう風に話ができるようになった」。前ははなせるようになりたかったけどできなかった。まだ言えないことはあるけど、焦らないでゆっくり話すようにしたいという。前はこんな事話したら悪いんじゃないかと思っていた。馬鹿にされると思っていた。何もしたくないとか、誰の顔も見たくないとか、病院に逃げたいとかそういうことは話すと馬鹿にされると思っていた。それは小さい頃にそういうことがあったのかと聴くと、小学校の頃に虫が嫌いで、つかめないで馬鹿にされたという。これに対し、面接者が感情を明確化しようと、<Bさんの話を聴いて思ったのは、馬鹿にされたくないという気持ちが…>と言ったとたん、間髪をいれずに「ある」とこれまでにない強い調子で答え、「近所や親戚に特殊学級に言っていることでばかだといわれ、それがいやで家を飛び出た。お母さんのお金を盗み、新宿に遊びに行った。お金がなくなるとお母さんに迎えに来てもらった」と語る。

*7月
 同棲、夜の仕事、周囲から馬鹿にされた体験が、これまでは彼女が話したいように話す場面を作る中で語られてきた。そこで対人面でこれまで特に問題とされてきた不適応の原因、ことに異性関係についてこちらが主導的に聞き始めた。彼女が編み物を近所の男の人に習ったという話をきっかけに、次のようなやりとりをした。
<Bさんはどういう男の人が好きなの>
「乱暴しないで、働いてくれる人。休みの日に買い物や遊びに連れていってくれる人。体格のいい人。背が高くて、相手がお酒飲んでも、私はのまない。」
<今までつきあっていた人はそういう人だったの>
大阪の人は働かなかった。私が昼はF(洋菓子店)、夜は喫茶店で働いた。お金全部もって行っちゃう。働き者じゃなかった。私が病気になっても病院に連れていってくれなかった。」
<でも、好きだったの>
「仕方なく一緒にいた。二人とも働き者じゃなかった。もし結婚するなら、働き者の人がいい。結婚したい。自分の病気も話して、自分のことを洗いざらい話して。結婚にあこがれる」。この後、夏休みのため、2週間面接が中断。
*8月
 夏休み明けの面接で、気分の不調を訴える。なんとなく落ち込むという。なんでかわからないけどという。夏休みで同室者が帰ったりしていたり、棟も人が少ないからかな、というと「それもわからない」という。表情も笑顔が少なく、だるそうにしている。
 夜は余り眠れないと言う。確かに、さっきもロビーで新聞読んでるところをみて、なんかつまらなそうな顔してたよ。というと、なんか変だという。
 口数も少ない。(面接後も気になったので、棟にいる担当者に(気分が)落ちているから気をつけてと声をかけておいたが、この翌日無断外泊。一度は電話をして戻ってきたが、再度金曜日にマックの帰りに戻らず、そのまま横浜へ行き、行きづりの男性と一夜を共にする。月曜日にS病院より、本人病院に来ているとの連絡はいる)。
無断外泊後の定期面接では、「体重減った」といいながら部屋に入って来る。昨日(無断外泊)のことではないが、「人とうまくやっていけないことが不安だ」と訴える。本人の話すままに聞いていると、父親のことを覚えていないという話になる。確かに、父親のことになるとよく覚えていなかったり、記憶が曖昧だったりしている。
※ この後、この無断外泊と飲酒のため、アルコール専門病院に1ヶ月間入院。

*9月〜10月
 退院するが、その直後に無断外泊をする。帰棟後の初の定期面接の第1回目で、生活指導員との交換ノートをもってやってくる。「ノートをよんで、好きな人ができたら、あんな事しなきゃよかったと思う。退院してまたすぐに飛び出して、職員を裏切ったと思う」という。
 10月の第1週はバッカスと一緒に写った写真を持参。「バッカスがいなかったら、マックつづけられなかったかも」。「今はとにかく死にたくない。元気でいたい」と語る。
 翌週、<今日は何かはなしたいことがある>の問いかけに、プロ野球選手の子どもが4歳で交通事故で亡くなった記事を新聞で読んだという話をしている。面接の終わり頃「このごろ自分が不思議だ。自分で自分のことを知らない。思い出せないことがある」と言う。
<自分のことを知りたいの?>という面接者の問いに「知りたい」と強い口調で答える。
 次の面接では、 AA(注4)とマックの大会に参加したとの話をしている。特に、初めてみんなの前、30人くらいの人の前で話をしたと少し興奮気味。今まではマックの人に言われても嫌だったけど、今日は何でわからないけど話せた。親の金を盗んで飛び出たこと。お母さんにネズミを殺す薬を飲ませたこと話ができたという。
 面接者は、人前で話せたことを評価する一方、その話は初めて聴くねというと、「そうだっけ話さなかった?」という。
「本当は兄ちゃんにも連絡しないのは、私が迷惑かけたからだった」とも、この時話をしていた。10月の最終の面接では、昨日7度3分熱があったけど大丈夫だ、と元気な様子。
 棟の職員にノートに言えないことを書いてそれを読んでもらっているという。いらいらしても落ち着いて過ごせたとも述べている。

*11月〜12月
 小さい頃の話で、お父さんがきまぐれで転校が多く、友だちと遊んだ覚えがないと言う。
「小学校3年生までは、普通学級だった。3年生から特殊学級に行ったが、理由はよく分からない。勉強にはついていけなかった。中学校に行ってから、私やお兄ちゃんのことを親戚や近所の人が、ばかだ、あたまがわるい、と馬鹿にした」。感情を明確化しようと、気持ちに焦点づけをすると「だからてらんに来たとき、ドリルを買って計算できるようになりたかった」という。馬鹿だと言われたときの気持ちは「くやしかった」と発言。そして、嫌なことを言われたとき、今までどうしてきたかというテーマを面接者から出すと、「いいかえせない」というので、その嫌だなという気持ちは、何処へ行っちゃうんだろうと面接者が返すと、「だから、いらいらしてお母さんがトイレにはいっている隙に、お母さんのお金を盗って飛び出したりして、新宿ふらふらしていたと思う」と言う。さらに「前はどうなってもいいと思っていた」と、睡眠薬を大量服薬したこと、放火をしようとしたことなど話す。そこで面接者は<Bさんはどうなってもいいやと思ったり、人から嫌なことを言われたりすると、それを言葉にできないから、飛び出したり、薬飲んだりしてきたのかな>と返すと、「そんな気がする」という。この日の面接では、行動化の背景を見つめ、受容するようにする。
 最後に、面接者より「私たちはすごく大事な話をしていると思う。Bさんは昔の嫌な話をよくしてくれている」と“われわれ結束(We Bond)”(ルボルスキー、1993)の存在の体験を面接者が伝えると、「うん。最近話ができるようになったし、生きたいと思う。死にたくない。仲間が死ぬのを見て怖かった。棟で日記を書いて、職員から返事をもらって、いろいろな人の返事を見るのが楽しい」と語った。
 次の面接では、同じ生活棟での年下の女性とのささいなトラブルの話から、その女性のことを固有名詞を挙げて「わがまま、甘ったれで嫌い」と発言。12月の初めの面接でも「人と喧嘩しないように我慢している」と話す。喧嘩して相手を病院に行かせてしまったら困るからだという。以前同じ会社に勤めていた女の人がいて、その人が同じ団地に住む男の人と暮らしていた。その女の人が不在の時、その男の人のところに泊まりに行ったという。それで、その女の人に何かいわれた。言われたことは覚えていないという。また、小さい頃縄跳びで遊んでいて、その縄跳びで自分の首を絞めた。何でそんなことをしたのかわからないという。

* 98年1月〜2月
 プロレスが好きで、今度職員、同じ棟の利用者とプロレスに行くのを楽しみにしている。
 その中で、夢では怖い思いをしている。夢の中で人を殴って、警官に捕まって、それで目が覚めた。自分の部屋にいるのが分かり、ほっとした。2月は長い風邪を引き、面接も休みがちだった。変な夢を見たが内容は覚えていないと言う。

*3月
 入所以来、無断で外泊したときの一つのきっかけとなったと思われる利用者の名前をだして「Cちゃんが戻ってきたら、どう対応したらよいのかと思う」と切り出す。Cさんからは「Bさんなら私の気持ち分かるでしょ、と言われるけど、同じ精神科でも違う」と言って、口ごもる。面接者が<いいんだよ。ここでは、言いたいことを言って>と促すと、「わるいけど、 きちがい病院(注5)っていうのかな」と発言。面接者は気持ちを明確化しようと「Cさんから、Bさんなら分かるよねと言われても、違う、わかんないとは言えなくて、我慢しているのね>と返すと、頷く。今までにもそういうことがあったのかと問うと、昔は言いたいことが言えないと、部屋で自分の荷物を投げたり、壁を叩いたりしていた。今はいらいらしても音楽聴いたりしている。今でも飲みたい気持ちがある。でも、飲んだら刑務所行っちゃうかもしれないし、何しでかすか分からない。ひょっとしたときに自殺するかもしれない。<今はお薬飲んで、きちんとマックに行っている>と面接者が返すと、でもいつまで続くかは分からないという。面接者は気持ちを拾おうと「スリップしちゃうかもしれないと思うんだね。治るということではない、今日一日」と伝え、「随分自分のことを振り返れるね」と伝えた。
 次の週には、婦人相談所の相談員に会いに行った話が出る。その際、ホットケーキとコーヒーをごちそうになり、ノートとペンを買ってもらったとそれを見せる。その女性の相談員がお母さんみたいで、優しいと述べる。「小さい頃、親に連れていってもらったり、何か買ってもらったりしたことがなかった。だから、そういう家を見ると、その家に火をつけたくなった。うらやましかったんだと思う」と振り返っている。

B 考 察
 本事例は、アルコール依存症として治療を受けている、軽度知的障害者である。昨年3月より面接を受け持ったその経過を述べた。面接の導入期では、おもにアルコール問題と男性との性的逸脱行動についてが語られた。面接者はここで、不適応の中心問題が対人関係の失敗と不安にあり、それらが介在するとアルコールで酩酊するか、行きづりの男性と性的行為に及ぶ、と考えた。かつて、精神科医の斉藤は「酩酊は自立と依存をめぐる葛藤を緩和する」(1983)と指摘し、力動的には口愛期固着があり、性行動の異常とも関連が深いことを示唆している。また、精神医学者である笠原は、「異性はおろか同性とも満足に対人交渉を結べないことを悩んでいる人が、突如大胆な仕方で異性と性的関係を結ぶ場合」は「ほとんど罪責感らしいものを彼らのうちに残さず、またしばしば繰り返される」と、「性愛領域の行動化」について指摘している。本事例もこれらの指摘に当てはまる症状、行動の特徴をもっていると考えられた。面接が進む中で、アルコール依存、性的逸脱行動以外にも、母親に毒物を飲ませようとしたり、自分自身も睡眠薬を多量服用したり、放火をしかけたりといった多彩な行動化傾向について語るようになる。そこで、面接の主眼をこれまでの行動化の背景と、それに伴う対人問題に関して本人自身が感情表出することを促し、行動を言葉で面接者とともに再体験することにおいた。
 約1年の面接の中で、この間2度(5月、8月)の飲酒と行きづりの男性との性的関係を起こした。しかし、昨年の夏以来、それらの行動化は抑制され、当初訴えが多かった心身症的症状(頭痛、腹痛、関節痛)の訴えも減少した。面接が深化してくると、話されるテーマが飲酒問題、性的逸脱問題から、馬鹿にされたくない、人と話せるようになりたいという要求、願望が表出されるようになり、面接場面では「馬鹿だと言われて悔しかった」と感情表出もみられた。その反面、言いたいことを我慢している自分も表現している。また、本事例と面接者との合同探索、行動化の受容の中で、対人トラブルを回避し、それらのことから逃れるために、アルコール依存を初めとした様々な不適応行動を引き起こしたと語るようになっている。すなわち、面接の深化とともに、自己の客観化が生じたと考えられた。
 これまでの不適応行動の背景には、親や周囲の人々に対する葛藤、それに伴う怒りや悲しみ、恥という感情があったと考えられるが、その要求、願望を表現しても、十分に受け止められた体験が少なかったのであろう。Bさんはそのことを、知的障害と視覚障害のあった母親に対して「甘えたくても我慢してきた」「15の時、初めて男の人に嫌なことをされても、お母さんには言えなかった」と述べている。
 ところで、九州大学の精神医学者である前田は、面接治療がうまく進展しているかどうかの指標として、「夢の変化、身体症状の変化、自己表出の増大など」をあげ、また、うまく進んでいない面接の指標としては「具体的な事実が感情を伴って語られない、抽象的・観念的な、一般論の形での話だけが、ぐるぐる堂々めぐりをしてつづく、話の繰り返しが多いこと」などをあげている。
 これらの指標に沿って、本面接を振り返る。面接の初期には「怖い夢」と表現していたものが、回が進むに連れ、夢を見たが、内容を覚えていないことが多いと述べている。また初期には事実を淡々と述べ、感情が伴っていない点が顕著であったが、中盤以降は、感情表出が増えた。さらに、話題が新聞で読んだというプロ野球選手についてや、バスで出会う高校生のマナーが悪いなど、外の世界へと話題に展開が見られた点は、本事例の面接場面での変化としてとらえられよう。

             

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