<<実践報告・論文集>>

試論「方法論の一つのテーゼ」〜心の問題とは何か
(その2)


3.動作から行為に向けて

 問題行動そのものが動作の組み立てのパラメーターとして位置づけられると、動作から行為へ質的な転換をさせる要因は何であろうか。それは個人の意志と動作の調整の2つである。
 まずこの個人の意志とは何であろうか。それは先の例で見た「サイダーを飲みたい」というような物質的な欲求やその他の生理的な要求という類のものではない。もっと生きることにおいて根源的・実存的なものであると思われる。それを「自己抑制的な志向」と呼びたい。これは行為を行為として成り立たせるもの、つまり行為を根拠づけるものである。
 先ほど「赤信号で止まる」という例でそこには積極的な意志が働いている可能性があると述べた。問題行動の行動そのものの理由として5つの項目を提示したが、それはいずれも調整機能の不自由さと表現機能の不自由さを表していた。そのような不自由さを持ちながら様々な流動的な状況(車の進行、雑踏に対する怖れ、予測不可能な事態への不安など)の中で交通ルールの規則に従うこと自体非常に困難なことである。それでも「赤信号の時に一度止まることができた」ということはそこにAさんの個人的な意志が働いている可能性がないとは言い切れないのである。不自由さがあるからこそ自分の動作に意志を働かす必要に迫られるのである。我々は赤信号で止まりたいとか思わないし、止まる努力はしない。ただ規則に従って動いているだけである。しかし行動障害の人達は規則に従う努力や強い意志を持たなければ規則そのものに従うことができない。それはそのまま動作から行為へそして行動への飛躍である。そしてこのような動作に目的と適応を促すものは個人の意志という言葉では曖昧である。それはむしろ「自己抑制的な志向」である。自己抑制的な志向とは問題行動を起こしてしまう自らの動作に対して自己規制しようとする志向である。問題行動に走らざるを得ない、心の状況をその動作によってしか表現できない、そのような動作表現としてしか学習できなかった、或いはパニック状態に陥ってしまう、衝動的或いは反射的な動作として表れてしまうといった5つの不自由さの中で社会で生きる上で必要な自己規制を自分に課さなければならない。しかし単独で自己規制しきれない障害そのもの、自我の弱さが現実的にある。それゆえに援助が必要なのである。我々の援助の必然性はここにある。
 強度行動障害と言われる人達は様々な行動を示す。それは反社会的なものがほとんどである。自傷、他害、こだわり行動、器物破壊、他動、排泄や食事、睡眠という基本的な生理現象の乱れなどすべて反社会的・反自律的なものである。それは彼らの行動が「規則に従っていない」ということである。そして「規則に従う」ということが援助者側の援助の目的である。そして規則に従うということは自己を社会的な存在として確認できるという自覚的な志向を生み出す。なぜならばいくら彼らが特異なふるまいをし、異邦人として見えようとも、やはり彼らはどこまでいっても我々と同じように社会的な存在だからである。そして社会生活の中で規則に従うことができるようになるということが自分が社会に適応できる窓を、自律と自立の扉を開くのである。
 では行為を根拠づけるもう一つの要素である動作の調整とは何を意味しているのであろうか。それを「自己自覚的な志向」と呼びたいと思う。つまり自己を自己として確認し了解するということである。動作の調整を行うことは二重の意味で自己自覚的である。つまり社会生活における適応と協調という対他的自己確認(それは他の人と同じように振る舞っているということ)という意味と身体の動作と心との「なぞり」(それは自分の思い通りに自分の身体が動くということ)という対自的自己確認という意味において。
 先ほど問題行動は動作の組み立てのパラメーターと位置づけた。それは動作の様々な変数つまり無秩序な動作の集合体ということである。動作の調整とは無秩序に(反社会的に)表れている動作を秩序立てることである。しかしここで問題にすべき問題行動とは9つの項目の範疇に限らない。確かに強度行動障害といわれるべく激しい・・・、著しい・・・と表現される。それは動作のパラメーターの中の非常に強い部分だけを指しているに過ぎない。しかし身体を揺すったり、手をひらひらさせる常同行動からガラスを割り、噛みつき、頭を叩く行動まで本質的には変わらない。結果として様々な被害や不適応行動が生まれるわけであるが、動作のパラメーターという意味では全て家族的な類似性を持っている。後述することになるが、それを了解していないと強度行動障害者の激しい問題行動は止めることはできない。それは突発的な激しい問題行動だけでなく日常的な動作まで見渡すということである。このような意味で援助者側の細かい観察力と動作の分析が必要となる。それは動作を調整するための必要条件である。
 では問題行動に対してどのようにアプローチするか。その方法論として取り上げるのが「動作の制止」ということである。援助者側からは動作の制止という行為であり、当事者側からは自己抑制的な志向への援助である。そしてそれは自己自覚的志向への展開を含んでいる。またこれは社会的に意味づけされた行為、つまり行動への橋渡しを意味する。

4.動作の制止という援助

 様々な問題行動がある。その様態も特徴も、その影響までもまるで一人々々の個人史を見ているように個別的である。ここでは実践例として挙げたS君を手掛かりに考えたいと思う。
 彼の問題行動の特徴はつねり、噛みつき等の他害が中心である。つねりに関してはズボンの服が破けてしまうこともあったという。また噛みつきに関しては母親の肩を噛みついた際にハイヒールの踵で叩かなければ離すことはなかったというひどいものである。そのような行動が出る場合は、外的な要因として自分の意にそぐわぬ事柄を要求された時や予定変更に対して、或いは自傷等の行動が出てきて状態が悪化しつつあるときである。
 まず、被害を受けないということが第一に肝要なことである。つまりつねられたり噛みつかれないように防ぐということである。逃げるのではなく防ぐのである。それはお互いの関係性を維持するためである。そのような被害に遭うと援助者側は理性をなくす危険もあるし、恐怖を覚えることもあるであろう。そのような体験が続くと「無視」や「傍観」という手段しか取らざるを得なくなる。つまり援助者側が追い込まれてしまうのである。まず防ぐことである。そしてその行動を止めることである。つまり動作の制止である。では行動を止め、動作を制止することで何が得られるのであろうか。そしてそれは何を意味するのであろうか。
 行動を止めることはまず関係性を維持するための防衛である。しかし行動を止めること(防衛する)だけでは不十分である。その行動を成り立たせている手の動き、足の動き、腰の動き、頭の動きなど身体全体の動作を制止しなければならない。それは規則に従っていない、まとまりのない身体の動きをまずフラットな状態にするということ、つまり身体全体を静止している状態にすることである。それは無秩序に組み立てられている動作のパラメータが浮遊している状態(自分が思うように身体が動いていない状態であり、動作に自分自身が振り回されている状態)から一つの確定された状態に固定化するためである。どのような姿勢でも一つの動作の形を維持することである。それは動作のパラメーターという意味では0の地点である。プラスでもマイナスでもなくあくまで中立的なフラットな状態である。そのような状態を作るために動作を止めるのである。求める状態は全くの静止状態である。
 現実的な援助場面でよく使うものに「寝かせ」と「静座」がある。寝かせの状態では眼を閉じ、口は喋らず、耳、眉毛も動かさず、顔は天井を向き動かさず、肘は曲がらず、手も指先も動かず、肩は床につき、背中は浮かず、膝は伸び、足先はほぼ120度の角度で開いている状態である。静座の状態では頭を動かさずまっすぐ前を向いて目をつむる。肩は落ちて肘は若干曲がる程度で、手のひらは膝の上に軽くのっている状態である。そして背筋が伸びて上半身がしっかり腰に乗っている。膝を折り踵にお尻が乗り、股は30度くらい開いている。 当事者にとっては静座の姿勢よりも寝かせの状態を作る方が負担が軽いようである。そしてできればその状態を当事者の意志として行うことが望ましい。それはつまり自己抑制的な志向を引き出すことにおいてである。しかしそれが自らの力で出来ないときには動作を止めて上げなければならない。しかし動作を止めることにおいて動作のパラメーター自体が0地点を越えてマイナスにまで行くときにそれは体罰となり、暴力となる。
 確かに激しい問題行動はその行動を止めなければ社会的な不利益を生む。しかし先ほど家族的な類似性ということで表した自閉症特有のこだわりや独り言、身体を揺する動き、手をひらひらさせる行動等はどうであろうか。動作のパラメータという意味ではその変数の強弱の違いにしか過ぎない。つまり「規則に従っていない動き」なのである。何か課題、つまり「規則に従う」動きが要求されるときはやはりこの行動も止めなければならない。しかしそれは時間や場所、課題、そして本人の特徴等の総合的な状況に照らし合わせた援助内容になる。ケース事例に関しては激しい他害行動が出る前に必ずその前兆となる行動があった。声出しと手叩きである。この行動を初期的に止めることができなければつねりや噛みつき等の行動が出たのである。そしてこの初期的な行動に関しては完全に止めていった。そうすることによって激しい他害行動が激減したのである。また彼の行動全般についてキーポイントとなったのが歩行であった。歩行に関しては途中で止まりそのままバックすること、また日常動作においても動きの途中で”ひっかかり”止まる場面が多いということである。歩くスピードとその足の運びのなめらかさ、そして歩く身体の姿勢が観察のポイントになったのである。それは声かけや身体的な接触も含めて動作そのものを調整していった。そうすることで入浴や食事場面でのぎこちない身体の動き方がスムーズに運ぶようになったのである。そのことは全て強度行動障害としての9項目と日常的なこだわり行動が家族的な類似性を示していることを表しているのである。そしてそれらは状況によって動作を制止する対象となるのである。
 では動作を止め上記のような静止状態を作ることでその人の心の状態はどのように変化したのであろうか。その大きな手掛かりになるものは身体である。心は身体を「なぞっている」。これは心の問題は身体の問題として捉えることが可能であるということを意味している。

            

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