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現在、児童福祉施設の子どもたちは学校に通っている。が、50年前のH学園ではゼロだった。就学免除・猶予児童である。この言葉を知っている施設職員も少なくなったと思う。
「何で学校に行けないの」、就任直後から会う職員ごと問うた。学童期の子どもたちは教員免状を持つ職員が学科指導を実施していた。
「私たちの教科指導の限界は判っているの。でもねー・・・」、そこで思考が止まっていた。
生意気な新人職員である僕は「憲法第26条を知っていますよね」
「子どもたちの未来を僕らの事情で奪っていいんですか・・」、と言掛りめいた論争を仕掛けていた。
「ひとしく教育を受ける権利を有するって知ってますよね」「H学園の子どもはどうしてひとしくから除け者にされているだろう」「学園から10分のM小学校に通えないのですか」。
嫌な奴だったと思う。嫌味な新人『就学猶予への取り組み』職員の「教育を受ける義務から学習権を!」の勉強会の呼びかけに職員が集まった。誰もが現状を変えたかったのだ。集まりを重ねた2年目の秋、八王子市教育委員会と学園の交渉が始まった。昭和44年の春から八王子養護・一中特学に10名余、M小学校普通学級にポッポちゃんと照ちゃんが通うことになった。養護学校義務化を14年先んじて実現させたが、障害の重い子どもたちは施設に残されたままであった。
しかし、学校を卒業した子どもたちを支える指導は学校教育の領域ではなかった。H学園には成人施設がない。企業就労後のアフターケアを得る機会がなかった。子どもたち一人ひとりの生き難さの多くの物語がそこから始まる。